占うという事
日本での歴史は卜占として国家を占う事が占いの原点でした。
そこから派生したとはいえ、現代の日常的な恋愛や人間関係、仕事を占うという現代版の占いとは似て非なるものと言わざるを得ません。古代の亀卜を使って恋愛の行方を占うというのは確かにナンセンスといえます。
ただその基軸に伺える見えないものを見ようとする意思、または見えないものを見る、感じる事によって未来へ何らかの注意を促す方法としては有意義な答えを得られる可能性は類似していると私は考えています。
占い師としての私|神職としての私
私は神職資格を持っているわけですが、占いをします。1日のうち占いをしている時間の方が多い事もあります。
神職資格を得る前の子供の頃から『占う事』を肌身に感じ、人の心と流れを読む、神意や真意を判じる事を行っていたのでこれは当然の事なのかも知れません。
ご相談に乗るときに一般論では解決しませんし、神職としての奉仕にも『私』はありません。いつも『ご神意』の中に居る事を感じています。
占いが生活にある事
例えば神道式の結婚式や地鎮祭等のお祭り事の吉日選定も占いの一つです。
当然ですが祭祀を頼まれた時にこういった良い日を見る『吉日選定』は日常にあるので私はごく自然に鑑定しています。暦や九星占術、算命学を利用する事があります。
また複雑な人間関係問題や複雑愛でお相手の気持ちを拝見するときには、こういった星や統計から離れ、巫(かんなぎ)としての占いをしています。
統計的な占いと直感的な占い
星関係は書籍やネットからある程度、誰でも修練を積む事が出来る事です。巫としての言葉を得る事については私は誰にでも出来るとは思いませんが、ある程度の修練によって可能性は生まれる
のではないかとは思います。
占星術・統計学的な占いは神道や仏教と相性は良いので、初詣で厄年や方位、八方除け等の祈祷やお札を皆さんもご覧になる事があるのではないでしょうか。こういった厄年等を割り出す方法も統計学の一つである占いの種類です。またこういった一般的な占術のほかに、スピリチュアルでの占術があります。
スピリチュアルは古来日本でも当たり前に存在する
スピリチュアルというとあまりに西洋的に感じる事がありますが、もちろん日本の歴史にも見る事ができます。
占いやスピリチュアルを知る方であれば、シャーマニズムという言葉をご存知だと思います。シャーマンは目に見えない対象から言葉などを降ろします。
シャーマン的 巫、巫祝
宗教的、民族的な世界共通ですが有史以来『神の言葉を伝える』人としてシャーマンが存在しました。
日本では、神に仕えて得たご神意を人々に伝える『巫』『巫祝』『巫覡』などがいました。
古代日本のシャーマンもそうですが、日本の古代国家では古代律令制の中に占いを扱う文献が掲載されています。
もちろん今のような個に対するものではなく、国に対して行われる国家行事ですので、個人の恋愛を占い言葉を降すものではありません。前述したように現代の日常的な恋愛や人間関係、仕事を占うという現代版の占いとは似て非なるものと言えます。
現代の占いとして
時代も降り現代は、個人の悩みの絶頂期だと思います。
人間関係、仕事、恋愛、自由度が増すにつれ、複雑な関係をお持ちのままご相談に駆け込まれる方も多く拝見します。
恋愛関係では、将来に対する不安や、お相手のお気持ちが見えずに辛い日々を過ごされているかも多く、独身、既婚にかかわらず相手の本心をどのように捉えていくのかがテーマとなっています。
巫としての占いとは
占いを通して、みなさんの心の中垣間見るご相談は一番多く、巫としての占いをしながら鑑定をしています。
巫はシャーマンと同義ですが、みなさんとお話しする度に神憑りをするわけではありません。
私の場合は、お話しをしながら、霊視をしお悩みを聞きながら出来るだけ多くの事を悩んでいる方にお伝えしてきました。
少しでも身軽になりお悩みを解決する方法を提示するために、巫として占いをしています。
占い処方箋とはこういった未来に対する悩み、この先の自分に迷った時のヒントとして使っていただく事です。
このブログは、今までの鑑定を通して私が思った事、また占いに対しての気持ち、鑑定内容についてを書いています。
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執筆:2019年4月
ブログ掲載:2021年12月
執筆者:橘